読書の話
意識の低まりを反省して,今日からまた,ブログを再開します.
意識が低くても,ブログを書けるようになろう....
今日は,日曜日にたくさん小説を読んだのでその話です. 久しぶりに,ラノベ的なジャンルの小説をたくさん読みました.
一冊目は,「砕け散るところを見せてあげる」です. この小説は,僕の大好きな竹宮ゆゆこ先生の新作です.
まず,軽妙な掛け合いと,愛おしい人物像はそのままでした. ただ,この小説には,ある仕掛けが仕掛けられていて,それが僕には微妙でした.
あんな仕掛けなんかなくても,本筋のストーリーだけで十分に読ませる小説です. 仕掛けがあるせいで,仕掛けの方に目が言ってしまって,ストーリーを十分に楽しめませんでした.
あと,もっとドロドロしてて欲しかった,ゴールデンタイムやとらドラみたいに.
二つ目が,竹宮先生のひとつ前の作品の「知らない映画のサントラを聞く」です. こちらのほうが僕は好きです.
主人公の女性が,ダメダメすぎて...そこが良い!. ただ確かに,主人公の女性がある男性に恋をするんですが,それがなんでかがいまいちわからないですね.
あと,最後がきっちりハッピーエンドなんですが,これも,もっと余韻を残す感じが良かったかな.
青春小説は,青春で終わってこそだと思うので.
この小説を読んでいる時,いつも,「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」のことが頭に浮かんでました. 物語としては,どこも似ていないんですが,なんだろう,想起させました.
あとは...,吉本ばななの「tugumi」とちょっと似てるかな.
うん,でも,最新作よりもこっちのほうが好きです.
竹宮先生がつくるキャラはどれも愛おしい.ちゃんと生きている感じが良いです良い.
あの名作,「下ネタという概念が存在しない退屈な世界」の作者が書いた「二度めの夏、二度と会えない君」です.
ちゃんとした青春モノです,ボーイミーツガールものです. 出会った女の子は最後に亡くなっちゃいます.
ただ...,切なさが足りなかったかな.
青春モノ,というか,青春モノかつ最後に女の子が死ぬ系の話って,「それでも人生は続いていくんだ」感が大事だと想うんですよね.
大切な女の子が死んだ,それでも人生は続いていって,いつかこのこともただの思い出になっていくんだなぁという感じが大事だと思うんです.
竹宮ゆゆこ先生の小説たちは今後も読み続けていきます. きっとどんどん面白くなっていく.
最後の青春モノは...,うーん,この程度の内容だったら次は読まない,作者に思い入れもそこまで無いし...って感じです.
初めて読んだ小説の話
僕が生まれて初めて読んだ小説は「クレヨン王国 七つの森」という本でした. 未だに手元にあります.
この小説は,小学生たちが自然観察クラブという集まりで合宿をするところから始まります. 仲の良いクラスメイトと合宿...,これだけで当時はワクワクしました.
この合宿の最中に,きもだめしオリエンテーションというものが開催されます.
なぞめいた手紙を読み解いて宝物を探していくうちに,クレヨン王国に迷い込んでしまう. クレヨン王国に住む動物たちとふれあううちに,苦手なものを克服してく...というお話です.
このお話に出てくる,動物たちは,ファンタジーの国の住人なのにもかかわらず,すごく人間的な悩みを持っています. そして,その悩みをそこに乱入した少年少女たちと解決していくのです.
単純に言ってしまえば,このお話の主張は,人間と他のいきものの共存は大事だよ,ということだけです. ですが,物語の作り,キャラクタの人間臭さなどから,嫌味なく素直にそうなんだなと感じることができます.
クレヨン王国はシリーズ物で,他にもいろいろなお話があります.
大人が呼んでも楽しめるお話ばかりですので,ぜひ,読んでみてください.
AtCoder Beginner Contest 34 の C を解いた
問題文としては,
ref : http://abc034.contest.atcoder.jp/tasks/abc034_c
のようになります.
こういった問題は,動的計画法の典型的な問題だそうです. 後輩の,ヒントマンが言ってました.
動的計画法とは,
事前に計算した内容を元に,今回計算したい内容を求めるみたいなことなのかな?
みたいな感じだと理解しました.
この問題だと,それぞれのマスに行くまでに必要な距離は,
1つ下の点にたどり着く経路の数+1つ左の点にたどり着く経路の数=その点に辿り着く経路の数
となるので,それをループでぐんぐん求めていくと解けます.
101 点の,100 点までですが....
ref : http://abc034.contest.atcoder.jp/tasks/abc034_c
後の 1 点は数学的解法で求めると解けるそうです.
...,はっきり言って,この問題は自力では解けませんでした. このような問題は動的計画法を使うと解ける,ということが思いつけないのです.
どうすれば良いんでしょう...?
幾つか動的計画法な問題を解いてみて,感覚を掴むと良いのかな.
読書の話
今,「フェルマーの最終定理」という文庫本を読んでいます. これは,「フェルマーの最終定理」が解かれるまでの歴史,紆余曲折について書かれている本です.
数学的に高度な話は出てきませんので,気軽に読めますが,数学の面白さについてはきっちり書かれています!.
社内向けの日記からネタを滉ってやろうかとお持ったんだけど.
それは最後の手段ということにして,明日はちゃんと書くよ!と表明して,今日は寝よう.
ワギャンランド!!!
今日は,懐かしい話をしようと思います.
皆様,ワギャンランドはご存知でしょうか? そして,ワギャンランドのしりとりをご存知でしょうか?.
これは,画面に現れた幾つかの絵の読み方でしりとりをするというものです.
例えば,「家」の絵があったとします,でもこれは,「ひらやいっけんだて」とも読むことができます.
また.「くじら」の絵は,「まっこうくじら」と読めたりします.
こういう,「え,これこんなふうに読めんの?マジで!?」を駆使して,相手を追い詰めていくのがこの絵でしりとりをすることの 面白さであったりします.
この,ワギャンランドのしりとりが,iPhone アプリになりました!!
こちらになります!.
ref : https://itunes.apple.com/jp/app/wagyan-shiritoride-sheng-fuda!/id1085676559
ワギャンランドのしりとりで熱くなった人はぜひ!ぜひ!ぜひ!.
属人性とスループットの関係性
用語の定義から
スループットってなに?
wikipedia によると,
コンピュータの、単位時間あたりの処理能力を指す
のことだそうです.
今回の場合だと,
人の単位時間あたりの処理能力
ということになりそう.
属人性とは
ノウハウやスキルが人に属してしまうということ.だと思う.
属人性とスループットの関係性
属人性とスループットを独立した概念として扱いたい
属人性を下げるために,アウトプットの品質を下げて,誰でも理解できるような属人性の低い状態にするということを避けたい. そのために,個人の成長によって属人性を排除していきたい.
属人性を下げる必要があるのか
専門性と属人性
これらには,相互関係がある. 専門性が高ければ.属人性は高いし.専門性が低ければ属人性は低い.
社会や会社という大きさで物事をとらえた時.専門領域があることは必要だ. 誰もが,医者である必要はないし.誰もが上級エンジニアである必要もない.
また,期間の長短で見た時も同様のことが言える. 中世の人間と比較すれば.僕らは十分高度で専門的な医療知識を持っている.
期間の長短で見た時,短い期間であれば専門性が高くなり属人性が高くなることはしょうがない. しかし,ある一定水準以下の知識は,コモディ化され誰もができるようになっていることが望ましい.
専門性が高くなることへの対処
社会や会社という大きさで属人性・専門性をとらえた時,ある大きさ・ある期間に於いては専門性が高くなることは仕方ないと述べた. では,専門性を持たない愚かな我々はどのように専門領域に属する問題を解決すればよいのだろうか?.
専門領域のカプセル化
例えば,僕が病気になった時,診察を受ける. 同じように,何か専門領域に属する問題を解決しなければならない時には,専門家を利用すればよいだろう.
病院に行って診察をうけるためには一定のプロトコルがある. 同じようなプロトコルを専門家と愚者の間で整えて,相互にコミニュケーションを行えば良いように思う.
より身近な話にすれば,ある高度な問題を解決する方法をクラスやコマンドと言ったレベルで表現して,それを利用するための手順を 最小限のドキュメントで表現する,などということだと思う.
専門領域に属させる大きさと長さ
どのレベルの問題は専門領域だろうか,そして,どの程度の期間,専門領域においておいて良いだろうか?
小さなチームでは最低限持っていなければならない知識を,定めて,それを一定期間で更新していくことで, 属人性・専門性がある一定水準に抑えられる気がした.
結論
属人性と専門性は連動して上下する,専門性が高ければ属人性も高い. そして,必ずしも属人性を0にする必要はない.
また,属人性・専門性は時間が経てば,低くなる. ある一定の期間がすぎれば,コモディ化され誰でもできるような状態になる.
そこで,どの程度の期間や大きさの問題を専門領域に置くかが問題になる.
小さなチームでは,最低限持っていなければならないスキルセットを,一定期間で更新していくことで 属人性が高すぎもせず低過ぎもしない状態を維持できるのではないだろうか.
また,専門領域に属する問題を解決する人は,問題を解決するための何かが,それを専門にしない人間にも利用しやすいよう インタフェース・プロトコルを定めると良いのではないだろうか.